私とハイジの帰るべき場所
ハイジみたいだねって言われたことがあって、気になってアルプスの少女ハイジのアニメを見た。(まだ途中だけど…)
アニメアルプスの少女ハイジは、両親を無くしたハイジが、親戚をたらい回しにされた末、アルプスのおじいさんに引き取られる所から始まる。
たらい回しにされているわりにはハイジは元気で、山に来て楽しそうで、たらい回しにされている悲しさみたいなものは感じない。
私は、両親をなくしたわけじゃないし、たらい回しにされたわけじゃない。
でも、両親の離婚から始まり、母と暮らしたり、父と暮らしたり…父が再婚したり、その度に、住む場所が変わっていった。
住む場所が変わることは悲しくはなかった。
ハイジはその後、大人(叔母さん)の事情で…アルプスからドイツの都会、フランクフルトに行くことになる。
行きたくないのに無理やり連れていかれて、ハイジはずっとアルプスに帰りたがっていて、とうとう心を病み、夢遊病になって、アルプスに帰してもらえることになる。
アルプスに久しぶりに帰ってきたハイジは
「ここは私の家よね?」と何度もおじいさんに聞いたり、何度も「ここは私の家よ」と言ったりして、自分の帰るべき場所はこのアルプスの家なんだということを確認する。
私はそんなハイジを見て泣いてしまった。
(ハイジも泣いてた…)
たらい回しにされてきたハイジは、アルプスに来るまで、自分の帰る場所だと思える場所が無くて、ハイジにとっての帰る場所はアルプスの家だけなんだ…と感じた。
ハイジ自身がフランクフルトに連れていかれたことでそれを強く感じているように思えた。
自分にも思い当たることがあった。
私もそうだ。
私にとってのアルプスは長岡だ。
私が長岡に来たのは6年前、それまでは名古屋に住んでいたけど、私の帰る場所は長岡しかないと感じている。
自分には安心して帰れる場所がないということも、その時は気づいてなくて、
安心して帰れる場所ができて初めて気づく。
長岡には山があって、海があって、川があって、田畑もある。
傷もあって、祈りもある。
そんな長岡が私のことを育ててくれた。
もういい大人だから、育ててくれたっていうのも変かもしれないけど…
とにかく私は長岡が大好きで、感謝してるし、愛してる。
今年も長岡花火を見ながら、一緒に祈った。
花火を見ていると、度々「ふるさと」という言葉が出てくる。
ふるさとって言葉を聞くと、私は少し切ない気持ちになる。
多分、私にふるさとは無くて、長岡はふるさとではないから。
毎年このちょっと切ない気持ちにになるんだけど、今年は頭の中にハイジが浮かんだ。
「ずっとここにいるわ、私。だってここが私の家なんだもん。私の家よ。そうでしょ?ねぇ、おじいさん。そうでしょ」
長岡は私のふるさとじゃないけど、
私の帰るべき場所なのは確かだった。
ここが私のいる場所なんだ。大好きな、私の居場所だ。
ハイジがたらい回しにされた末、アルプスにたどり着いたのと一緒で、
私も、長岡にたどりついた。何かに導かれ、ここに来たことはとても意味のあることのように感じる。
今夜もまた祈りの花火が上がるから、一緒に祈る。
祈ろうね、今夜も